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SNSが発達するのは良いけれど、そのせいか最近「感情」が強くなりすぎてはいまいか?

投稿日:

雑踏

こんにちは岩田タクです。

「論評が感情的になりすぎて客観的、大局的な視点がおろそかになってはいないか?」

今回はそんな話です。



SNSの発展によって「感情的」になる?

 

私はツィッターとFacebookをやっています。

まわりの投稿を見てみると注目されているのは「感情的」なものが多いと思いました。

技術的、論理的なものよりもみんなにとって共感できるものがより注目を浴びる。

SNSとは得てしてそういうもの。

 

しかし、今回問題視するのは「感情」によって論理がねじ曲げられる場合です。

例えばこんな投稿。

本日は敗戦記念日。「戦争は絶対ダメ」と遺族が涙。日本は核兵器を根絶するべき。原発もダメ。それができない総理は早く辞任しろ!!

 

例によって戦争ネタになってしまいます。

あくまで例えです。

 

この投稿が100000以上「いいね」されていたとします。

これ、感情的なばかりか、論点がすり替わっていますよね?

なんだか最近このような投稿をよく見るのです。

 

客観的、大局的な視点

 

このような「感情的」な物言いは、つまりは物事をある一方からのみ見ていることが多いです。

でも、それって正しいことでしょうか?

 

もちろんある一方の視点も正しいのでしょう。

でもそれだけでもないはず。

 

下の図は上から見れば○、左から見れば□、手前から見れば△に見えます。

世の中の物事とは往々にしてこういうものではないのでしょうか?

 

「感情的」になってしまうと、人は自分の見たいものしか見ようとしませんから「この図は三角だ!それしかありえん!!」となってしまいます。

いやいや、ちょっと離れて別の角度からも見てみましょうよ。

 

「大局的」というのもまた同様で、物事を考えるのに時間的、空間的に大きな目線を持とうということです。

参考→「人は結局自分の見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない」

 

物事は不完全。視点を変えれば真逆にもとれる

 

そもそもこの世界の事柄に「完璧」というものはありません。

これは数学的にも証明されているみたいです。

世の中の物事が不完全ならば、視点を変えれば意味も違ってきて当然のはずです。

 

昨今「安全と安心」なんてよく言われます。

科学的には「安全」でも感情的には「安心」ではない事もあるわけです。

「安心」という感情要素が入ると物事はまたあらぬ方向へ行ってしまうのです。

 

まあ、物事が不完全である以上、逆にどのような視点から見ても「ある意味では正しい」と言えるのかもしれませんけれど。

さて、とりとめが無くなってきました。

関連記事→「突然頭が鋭くなる42の思考実験」

言葉は「何とでも言える」

 

さらにとりとめの無いことを言います。

世の中の物事が不完全ならば、その物事を伝えるための言葉は「何とでも言える」のです。

 

「言葉」ですから嘘でも、真でも、ちょい嘘でも、ほのめかしでも、言わずに言うことでも、醸し出すことも、気持ちを隠すことも、創造でも、ねつ造でも、「何とでも言える」のですよ。

 

つまり、「視点を変え」、「言葉を選ぶ」ならば、物事はいくらでもねじ曲げられます。

私たちはそんな世界に住んでいるのです。

 

「いいね」は正義

 

そんなつかみ所の無い世の中である程度、自分の立ち位置を確約してくれるのが「いいね」ではないでしょうか?

物事としては嘘かホントか分からなくとも、多くの人々が賛同してくれれば人間社会においてそれは「ホント」になり得ます。

このことを小説化した本の書評記事→「公開法廷 ー1億人の陪審員ー」

 

感情的である方が、(その方面の)人々の共感を得やすい。

ならば、多少盛って話して興味、関心を得る。

運良くバズればこっちのもの。

さらにアフィでお金も稼げる!

 

ネットの言論がそんな方向に行きがちですね。

もちろんそれも間違ったことではありませんが。

感情は必要だけど時には非情になってみる

 

私個人的にはそんなネットの言論に疲れてきました。

何というか、何を信じたら良いのか分からなくなってきたのです。

まあ、自分で調べて、自分で考えるしかないんですが。

 

ちょっと疲れたときには感情をリセット。

そのためには「座禅」!!

関連記事→「お手軽に座禅をやってみませんか?」

 

時には「非情」、「無情」になって世の中を見てみるのも面白いかもしれません。

 

まとめ

 

今回の記事はちょっとわかりにくかったかもしれません。

これもまた「不完全性」や「何とでも言える」ということです。

 

ただ、世の中感情ばかりに流されると見誤るのではないか?

そう思ってこの記事を書きました。

 

人間自分の信じるものしか見たくないものですが、そうと認識した上で、あえて嫌いなものも見てみることも時には必要なのかもしれません。

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