人生哲学

人は結局自分の見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない

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はてな

こんにちは岩田タクです。

今回の話題は「人は見たいものしか見ない」です。

程度の差こそあれ、大抵の人に当てはまると思います。

もちろん私も。



見たくないものは、見ない

 

先日こんなことがありました。

知人と何気なくテレビを見ていたら、哲学の特集番組をやっていました。

東洋哲学の「無の境地」を扱った番組に対して、知人は

「こんなの卵が先か鶏が先かの話じゃん」

 

知人は東洋哲学など全く分かりません。

当然本を読んだこともなければ、以前から「自分は哲学なんて興味ない」と言っていました。

 

それを知っていた私はツッコミます。

「これは卵と鶏の話じゃないよ。そもそも君は哲学なんて興味ないって言ってたよね?」

すると知人はこう言います。

「いや、だいたい哲学なんてものは鶏と卵の話なのさ。どうでも良いことを話している。俺は現実主義だからそんなことに興味は無いのさ」

 

なんだか論理破綻しています。



見たいものしか、見ない

 

私はこの話で知人を貶めようというのでは決してありません。

そりゃあ、その場では多少ムッとしましたけど。

 

でも、この人は実はとても素直な人です。

素直な人だからこそ自分の欲求に従い、「見たいものしか見ない。見たくないものは見ない」を行ったのではないでしょうか?

 

知人は私が哲学関連の本を薦めても決して読もうとはしません。

それどころか、「僕らの死生観」すらも「硫黄島の歴史が重い」といって読もうとしません。

関連記事→「【書評】僕らの死生観ー英霊の渇く島に問う」

 

そう、知人は哲学が嫌いなのではありません、「自分が嫌いだから嫌い」なのです。

そして、「嫌いなものは見ない」のです。

 

皮肉ではなく、なんと素直な人でしょう。

自分の好き嫌いをはっきりさせて、それを実践する。

その意思強さは見習いたいものです。

 

しかし、その反面、どうしても視野が狭まる事は否めません。

意思は強すぎると「頑固」になってしまいます。



「見たくないものでも見る」にはどうすれば良いのか

 

自分の視野を広げるためには、様々なものに興味を持ち、「見たくないものでも見る」ことです。

 

でも、意志の強い頑固な人はこちらからいってもなかなか視野を広げてくれません。

そればかりは、その人自身がなんとかするしか方法はない気がします。

 

知人も本など読まずにスマホゲーばかりしています。

 

人から指摘されても、それで今まで興味の無かったものに興味を持つことはなかなかできません。

そして、自分の中の偏見に気づき、修正することはなかなか困難です。

 

時を重ねるにつれて考えが変わり、今まで気にしなかったことに興味を持ち始める。

人によってそのスピードには差があるでしょう。

そうして少しずつ前進していくものなのかもしれません。


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