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「一見無駄に思われる儀式」の必要性について最近考えてみた

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礼儀

こんにちは岩田タクです。

日本社会って、形式張った慣習が多くないですか?

今回はその意味を考えてみました。



形式的な慣習が多い日本社会

 

お中元やお歳暮。

結納やお葬式の地域ごとの謎ルール。

田舎での集会のちょっとしたルール(知らないと変に思われる)。

皆さんも経験があるんじゃないでしょうか?

 

ホント日本はこういう儀式めいた慣習が多いと思います。

意味が分かればまだいいです。

でも意味も分からずに「こういうものだから」とゴリ押しされて行うのはとても苦痛です。

 

例えば会社の飲み会のお酌の仕方。

「今日は無礼講!!」なんていいつつ、新人が先輩にお酒をついで回り、料理は最後に食べ、酔っ払った上司の話を延々と聞く。

以前いた会社ではこんなことがありました。

何かしらの意味がある場合

 

例えば礼儀作法。

いちいち面倒な作法が義務づけられていますが、調べればこれらには意味があります。

お酌の仕方にしろ、結納の儀式にしろ、その意味を教えてもらえばこちらも「そういうものか」と納得できます。

 

やっかいなのは「そういうものだから!」というゴリ押し

 

例えば結婚式のスピーチや挨拶の独特な言葉遣い。

そんな普段使わない言葉をその時だけ使ったって薄っぺらくなるだけなのに「こういうもの」の精神で、なんとなくその言葉を使わなければならない感じになる。

 

私はそれが嫌なんです。

だって、意味ないじゃん!!!



無駄に思える慣習の意味とは??

 

どうして意味も分からずに形式張ったことやらなきゃいけないのでしょう?

個人的に考えてみました。

 

思いついたのは「お互いの共通項」ということです。

 

結婚式や結納、またはあまり親しくない人との挨拶の場面。

たとえ意味が分からなくとも、とりあえず昔からそうしていたらしい「そういうもの」という行動をお互いに取ることで、強制的に共通項を作っているのではないでしょうか?

 

「こう言われたらこう言い返す」、「とりあえず下っ端がお酌をする」

セオリーの行動を取ることで、互いに意思が通じていない人同士でもそれなりに振る舞うことができます。



これも日本人の民族性なのかな?

 

日本人は、

・伝統を墨守する

・口下手

・きまじめすぎる

という特性があると思います。

 

この特性はいずれもコミュニケーションの妨げになります。

さらに初めて会う人や、親しくない人、さらに嫌いな上司などと付き合うときには壊滅的な特性と言えるでしょう。

 

それを救うのが「一見意味のない形式や慣習」ではないでしょうか?

それを行うことで苦手な人付き合いをなんとかしのぐことができる。

 

そう考えれば、「一見意味のない形式や慣習」にも意味が見いだせたような気がします。

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今後「一見意味のない形式や慣習」は無くなっていくでしょう

 

でもこれも今までの考えが古い人同士での話です。

価値観がめまぐるしく変化しつつある中で、古い価値観を持つ人はどんどん減っていくでしょう。

そうなれば「形式」や「慣習」も減ってくるはずです。

 

これからは公や集団よりも「個人」が優先される世の中になっていくと思います。

そうなれば「形式」や「慣習」に頼らずとも個人間で「嫌な人とは付き合わない」という取捨選択が可能になり、無駄な人付き合いは今より減るでしょう(無くなりはしない)。

 

昔の合戦での「やあやあ我こそは・・・」という名乗り合いが、戦術の進化や鉄砲の出現により消えていったのと同じように。

 

それも少し寂しいと思ってしまうのは、日本人としての民族性なのでしょうか?

 

こんな名言があります

「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」(ダーウィン)

形式や慣習に囚われない柔軟性がこれから特に必要になってくるのではないでしょうか。

 

 

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