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船形山神社:軽い気持ちでお参りしたら実とんでもない神社だった

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船形山神社

こんにちは岩田タクです。

今回は[前回の記事]の関連記事になります。

林道に行ってついでに近くの神社に寄ったのですが、これが意外にも歴史の古い神社でした。




船形山神社の場所

 

船形山神社

前回の記事で書いた旗坂キャンプ場。

そこから少し行ったところに神社の入り口があります。

看板が壊れ、草もボウボウなため、一見して神社の入り口とは分かりません。

しかもGoogleMapにも道が出ない!

その獣道を進んでいくと鳥居があります。

 

船形山神社

ここからは歩きです。

険しい山道が続きます。

 

船形山神社への険しい道のり

 

鳥居をくぐると社務所のようなところがあります。

扉もなく、一見して使われていないようです。

そこを過ぎると登山の始まりです。

船形山神社

 

神社への道はとにかく急で狭い。

船形山神社 船形山神社

 

こんな感じで至る所にトラロープが垂らしてあります。

これを使って行けと言うことでしょうか?

また、道もわかりにくく、トラロープを目印代わりに、なんとなく進んでいきます。

 

途中にははしごを登る場所が二カ所あります。

船形山神社 船形山神社

 

こんな急な道久しぶりだよ。

さらには鎖も出てきます。

船形山神社

なんかもう楽しくなってきます。。。

 

全体的に道幅が狭く、木の根がむき出しで、岩も多く、場所によっては滑りやすく、とても登りにくいです。

そうして2,30分も行くと神社にたどり着きます。

 

あと、特に注意するのが帰りです。

急な坂道をおりるのには十分に注意してください。

むしろ下りるときにトラロープや鎖をよく使います。

足場が悪いので上り下りには気をつけましょう。

これが船形山神社だ

 

船形山神社

なんだか荒れています。

見るとご神体もありません。

この本殿(?)の近くに小さな社もありました。

一応両方にお参りしました。

 

船形山神社は東北最古の神社!?

 

気になって調べてみました。

すると驚きの事実が判明しました。

(以下引用)

  • 祭神:保食神( うけもちのかみ。船形山を、恵みをもたらす保食神に見立てたものとされる。)その他十二神将と大黒天。

  • 創建年次は不明であるが、一説には反正天皇の時代であるとされる(『奥羽観跡為老誌』)。

  • 大燓天祭(5月1日) - 例祭日に船形山中の洞窟(場所は秘匿)から金銅菩薩立像を運び出して薬師堂に遷座、祝詞奏上の後に開帳される。開帳時の本尊の湿り具合でその年の天候が分かると言われており、開帳されると社殿に奉納されていた梵天が参拝者の中に投げ入れられ、これを激しく奪い合う光景が見られる。この神事は「船形山神社の梵天ばやい」として県無形民俗文化財に指定されている。

(引用終わり)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E5%BD%A2%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

船形山神社の御祭神について

 

十二神将や大黒天については元々は仏教の神様です。

日本に仏教が伝来した際にすでにあった船形山神社に追加で祀られたものと考えられます。

 

保食神(うけもちのかみ)については日本の神様です。

古事記には登場せず、日本書紀にのみ出てきます。

(以下引用)

天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。

天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。

(引用終わり)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%A3%9F%E7%A5%9E

と、このように書いてあります。

 

船形山神社についての個人的な考察

 

保食神といいますが、初めにも書いたとおり恵みを与えてくれる船形山を神様に例えて祀っているようです。

もしかすると「神様」という概念がない時代から、この山には信仰があったのかもしれません。

「船形山信仰」がもともとあり、その後に神社が建てられ、神様という概念をもって祀られているのではないかと私は想像しました。

 

「神様」の概念ができる以前の信仰というと、それは縄文時代のことになります。

三輪山のように山そのものが信仰の対象となっている例はあります。

船形山も同じではないでしょうか?

 

そうするとかなり古い時代(日本最古級)からの信仰ということになり、この地の歴史の深さがうかがい知れます。

そう考えると、ロマンですね。

 

船形山神社が建てられた時期について

 

定かではないが、反正天皇の時代と言われているようです。

こちらのサイトによると西暦406船形山神社~410年のことです。

http://www12.plala.or.jp/inookadera/shohyou/tennounengou.htm

 

今から約1600年前になります

はっきりしたことは分からないですが、もしこれが本当だとしたら、東北最古の神社ではないでしょうか?

御神体のゆくえ

 

私が行ったときには神社にご神体はありませんでした。

それもそのはずここでは「大梵天祭」が行われていて、ご神体は年1度の祭りの時に山中の秘密の場所から持ってこられるということです。

変わったことしますね。

ちなみにこの祭りは「船形山神社の梵天ばやい」として宮城県の無形民俗文化財に指定されています。

船形山神社

 

 

船形山神社の御神体について

(以下引用)

「御神体」として高さ15cmの金銅菩薩立像があり、普段は船形山中の秘密の場所に埋めてあるが、5月1日の例祭の時にのみ掘り出され開帳される。この立像は、北魏時代の様式を残しており、北魏の影響を受けた朝鮮三国時代(6世紀中頃)の製作と推定されており、日本への仏教公伝前後に渡来人によってもたらされたものと思われるが、どのような経緯、ルートで当神社に安置されるに到ったのかは全くの不明である。

(引用終わり)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E5%BD%A2%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

あくまでも推定ですが、このご神体は現存する日本最古の金銅仏の可能性もあります。

 

まとめ

 

約1600年前に建てられ(定かではない)、1400年前に作られた仏像(推定)がご神体として納められている船形山神社。

軽い気持ちで行ったのが、実はとんでもない所でした。

ほんの小さな神社でも調べてみればとても古い歴史がある。

日本にはそんな場所がたくさんあります。

(建国242年目のアメリカから見たらとんでもないことです)

 

今回船形山神社に行くことができ、本当に良かったです。

古代のロマンに打ち震えております。

そう考えると、地域ごとに深い深い歴史があり、「国」という概念ができる以前からの歴史も、この日本という国は包括しているのだなぁ、と思いました。

改めてこの国はとんでもない。

 

興味が湧いた方はぜひ船形山神社に行ってみてください。

住所:宮城県黒川郡大和町吉田字升沢108

 

 

参考:https://plaza.rakuten.co.jp/odazuma/diary/200708290000/

http://everest.cocolog-nifty.com/gassan/2016/05/post-1979.html

http://www.geocities.jp/engisiki/mutu/bun/mut280504-02.html

 

 

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